
2006.10.10
昨日はなんと都立深川高校『秋の大同期会』が行われ、70名弱が集まり、それはそれは大宴会となった。卒業してから初めての学年会とあって、懐かしい顔ぶれで何時間あっても足りない。1人ずつ5分喋っても6時間近くかかる。不思議なもので、初めは誰だかわからないと思っていても、時間と伴に記憶が蘇ってくるのである。何せ25年も経つのだからみんな喜びや悲しみの数をそれなりに乗り越えて来た素敵な歳のとり方をしてきたに違いない。在学当時はビデオなどまだ巷にはないし、取りっきりのカメラ等ないから写真も今思うと数少ない。携帯電話などなかったし、線の繋がった電話器は一家に1台しかなかったので、好きな彼女へ電話したい時には、親の目を盗んで、公衆電話まで飛び出したものである。相手の親が初めに受話器を取ったら、ビビって切ってしまうことすらあった気がする。なんて初心な餓鬼だったのかと我を疑う。形的なことで言えば、原チャリなどはヘルメットは必要なかったし、コンビニやファースト・フード等のチェーン店なども数少なかった。今そこへ戻る事はできないが、きっと戻ったとしたら不便に感じるはずである。時間の流れと情報処理のスピードが10倍...いや20倍以上速くなっているはずである。その所為もあってか、昨今、考えられないくらい個人のキャパシティが狭くなってきているように感じることがある。選択肢が多過ぎて許容量をオーバーすると、人間を人間とも思わなくなるのである。よく考えると恐ろしいが、人間の頭の回路もそれなりに情報処理能力が高まっているとすれば、瞬時に決断力が要求されてるわけだから、白か黒か、はっきりしない曖昧なことに対して拒否反応を起こすのだろう?「適当で...」という指示は、但、いい加減になるだけで、要領よく上手くこなす想像力や応用力は、どんどんなくなり通じなくなる。小生は学者ではないので、そんな事を考えても答えはだせない。ただ動物的に感じる事や動物的なコミュニケーションが、コンピュータやデータ処理に判断を任せることが多くなればなるほど、失われていくような気がしてならないのであった。あらためて実感したことは、「同窓会なんて...」とずっと思っていた自分がそうじゃない価値観に変わったこと。懐かしい顔ぶれと一緒に過ごした時間は25年前も、今も一生に一度きりしかないのである。自分はなんて恵まれた友と沢山の貴重な想い出を残せたのだろうと思う。もしも今の子供達の世代に、僕らの時代に在って、今は失われてしまった形にない何か足りないものがあるとしたら、伝えて残していきたいと思う。
peace and one love
BANANA ICE for 下町兄弟
BANA