2007.3.5

 新聞を15年以上とっていない小生が久しぶりに新聞を読んでみた。必要なことが沢山書かれている。世の中の知識や動き。当たり前である。活字が読みやすくなっているが相変わらず手が黒くなる。TVもラジオも必要だから生まれ、携帯電話にしてインターネットもそうである。しかしいつの間にか必要でないものに興味を動かされていく。これは世の中が常に必要なものの為にバランスをとるかのように必要でないものを求めているからだと判断する。つまりブスがいないと美人も存在しないのだ。個人差はあるが。例えば会社員などの場合、朝9時に出勤して19時まで昼飯時間を差し引いても実質働いている時間は9時間弱だろうが、利益を産んでいる時間は正味1時間内くらいかもしれない。いや生んでいないのかもしれない....なぜなら意味のない電話やメールや社内のコミュニケーションやら、やらなくてもいい会議の連続やクレーム処理に追われた限りなく雑用に近い作業が大半なのだ。家に帰って女房子供犬猫鳥ハムスターが寝た後に企画書をやっと集中して書くことができるのである。故に一人の人間ができることなど大したことはないのだ。それよりも街で会った見ず知らずの人のポシェットが妙に気に入って「最高ですね〜そのポシェット!!いったいぜんたいどこに行けばそれ手に入るんですか?」などと話を始めた方が、よっぽど未知の可能性と出会いと喜びをまき散らすのである。流行ってない店だが、オレの舌にはどうも美味しく感じる。それでいいのだ。味は人が作るのである。嫌な奴にいくら高級食材だからと蘊蓄述べられても美味い気がしない。無駄なことの必要性を感じる積み重ねがあれば、あのようなゴミの塔の家が大騒ぎになることも、騒音のオバサンが変人扱いされることも、公園のステンレスがなくなることもないのだ。電車の中で大声で唄う奴を許せばいいだけの話である。ところが車内放送でいちいち『お年寄りに席を譲れ』だの、『迷惑行為を連絡しろ』だの、心にもない指図が多すぎるのだ。そんなことお前に言われなくてもいいわいってことである。海外に行けばそんな奴はあっちこちにいるから110番が迷惑する。みんな色んな種類なのだ。日常の中に余分なことと思い会話を閉ざしている心の貧しい人間が都会には増殖するのである。東京の田舎者としては、やはり「無償の愛」を皆さんもっと持つべきであると心から感じている。そんなことを言っていても小生は昨日上野で占い師があまりにもひとりぼっちだから飲みにいかないかとシツコク誘っていた。後で考えると占い師はあまり沢山ではやっていない。この場合ただの営業妨害であって必要でないことのバランスが悪すぎて、世の中にもっとも不利益な種類に入っているのではと"自負”する。気もするうちはいいが、そのうち気にしなくなったらどうなるのだろう。我が輩はどこへ行けばいいのだろうか?惑星に住む場所がないかもしれん。

BANANA ICE for 下町兄弟BANA